新渡戸稲造「札幌遠友夜学校記念館建設募金代理寄附」

カテゴリー: 伝統・文化・歴史

  • 達成率

    3%

  • 支援者数

    5人

  • 受付終了

寄附金額 50,000

目標金額2,000,000円

3%

北海道白糠町

寄付受付期間:2020年12月1日~2021年12月31日

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一般社団法人 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会×北海道白糠町

「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」の夢を叶えたい!
新渡戸稲造といえば、旧5,000円札の肖像画でおなじみですが、実は、北海道開拓、北海道農業に多大なる功績を残しているのです。
白糠町は、北海道の一つの町として氏の功績に敬意を表するとともに、記念館設立に協力したいと考えました。
北海道第二の開拓期である現代において、地方再生のアイディアや実践の拠点となる施設になることを期待し、その建設募金に協力するもので、いただいたご寄附は全額を会へ寄附することとしております。
皆様のご理解・ご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

※本プロジェクトは最終目標金額を3,000万円としており、寄附状況によって来年も募集を実施する可能性があります。

北海道白糠町

白糠町は北海道の東部に位置し、人口約7,200人のまちだ。
太平洋沖の暖流と寒流が交わる絶好の漁場にあり、1年を通じて様々な海産物が獲れるもので、特にししゃもや毛がに、柳だこ、鮭、つぶ貝は豊洲市場を始めとし全国から引き合いがある。
恵まれた漁場にある本町は水産物だけでも十分すぎるくらいだが、山に目を向けると、また様々なものがある。
しそを使った焼酎と言えば今や全国区の『しそ焼酎鍛高譚』のしそをはじめ、イタリアンチーズや羊肉、ヨーロッパでは特別な日の高級食材として愛されている鹿肉。
このように同町は、海を見ても山を見ても豊富な食材にあふれている。

プロジェクト進捗情報一覧

進捗情報はまだありません。

一般社団法人「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」とは

札幌農学校(現北海道大学)の卒業生であり、アメリカ・ドイツに留学した新渡戸稲造は、帰国後に母校である札幌農学校で教鞭をとる傍ら、1894年、学校に行けない貧しい子ども達のために、夫妻で「札幌遠友夜学校」を立ち上げました。

学生ボランティアたちに支えられながらスタートした「札幌遠友夜学校」は、50年にわたり継続し、惜しまれながら幕を閉じました。

 

――そして、現在。
「遠友夜学校の精神を宿した場を現代の札幌につくり、新渡戸稲造の尊い志を未来へ伝えたい!」

そんな強い想いを持ったメンバーが集まり、日々活動しているのが、私たち一般社団法人「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」です。

新渡戸稲造と札幌遠友夜学校

日本で最初の大学、学資授与機関として創立されたのが札幌農学校、現在の北海道大学です。その2期生であり、教育家、思想家、農学者でもあったのが、5000円札の肖像にもなった新渡戸稲造です。そんな新渡戸が、貧困ゆえに日中に働いて義務教育を受けられない青少年のために創設したのが遠友夜学校です。同校は、1984年(明治27年)から1944年(昭和19年)までの50年間、教育の現場として北海道、ひいては日本に貢献してきました。

同校の授業料は無料。また、札幌農学校・北大の教師や学生、札幌独立基督教会の有志たち700人以上が、教壇に立ちました。実状としては、ボランティア活動だったそうです。5000人以上の生徒たちは、人格尊重・自由・平等・博愛のもとで学び、多くの有為の人材が輩出されました。これもひとえに、新渡戸の「無欲の奉仕精神」「何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛の心を持って」「学問より実行――人生の目的は人間として完成することにある」の教えが教育の原点としてあったからでした。

 

新渡戸稲造記念公園に、現代のニーズにあった活動、実践の拠点となる「札幌遠友夜学校記念館」を大勢の皆さんとともに建設いたしたく、ご支援をお願いする次第です。あなたも“新渡戸の子”になりませんか。

記念館建設に向けてのヴィジョン

記念館活動は公的な役割を担いますので公の機関との連携はもちろんですが、民間の機関として皆さんの要望・アイディアを聞きながら、それぞれの思いを生かした温かく簡素な運営と、多彩な活動を考えています。現在、以下のような事業概要、運営を考えています。なお、本事業は、札幌市、札幌市教育委員会と相談しながら進めているものです。

事業概要

  1. 市民や道民など地域や国を結ぶ国内・国際交流、世界を学ぶ事業
  2. 講演、出前講義の斡旋、読書会、記念フォーラム、大学等のアウトリーチ 活動
  3. 一般市民向け教養講座、音楽会、各種の教育プログラム(不登校児童・生徒の学びの場、進学塾、学習補習教室、障がい者の会、女性の会、相談会等)
  4. 展示、図書室、閲覧室の充実
  5. その他

札幌遠友夜学校が目指す「場づくり」

  • 子ども、青少年、大人、高齢者と年齢を問わず生涯学習ができる場
  • 子どもたちが生きる喜びと知恵を育む場
  • 国際的な活躍ができる人材を育てる場
  • 地域のニーズに寄り添った会合や交流の場
  • 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校の貴重な資料の保存と展示
  • 公園で遊ぶ幼児、子どものためのトイレ・授乳スペース・雨宿り場

未来へ繋がる現代的な解釈の「札幌遠友夜学校」の想いを引き継ぐ施設、「札幌遠友夜学校記念館」を設立したいと願っています。創成川イーストの中央区南4条東4丁目は、「札幌遠友夜学校」が実際にあった場所で、現在は、新渡戸稲造記念公園となっています。
ところで、「札幌遠友夜学校」は、貧しくて昼の学校に行けない子どもたちの学び舎でした。不登校・貧困・地域単位での子育て場・海外交流・生涯学習……地域の皆様に愛される場づくりをしていきたいと考えています

新渡戸稲造とは

(写真左)新渡戸稲造とメアリー夫人(写真右)海外で翻訳された『武士道』

「旧五千円札の顔」として、また「武士道」を世界に広めた国際人としても知られる新渡戸稲造。教育者として女性教育にも力をいれ、東京女子大学初代学長や女子経済専門学校(現・新渡戸文化学園)初代校長を務めたり、北星女学校(現・北星学園)、女子英学塾(現・津田塾大学)、普連土女学校(現・普連土学園)、恵泉女学園などに設立時から深く関わり支援したことで知られている。
また、農業指導者としては、台湾で殖産局長・糖務局長を歴任し、台湾を世界有数の砂糖生産地に導いたり、国際平和の分野では、初代国際連盟事務次長や国際知的協力委員会(現・ユネスコ)の創設者として貢献したことで名高い。

1862年に岩手県盛岡で、武士の子として生まれた新渡戸稲造は、札幌農学校に入学後、東京帝大、アメリカ、ドイツに留学。帰国後、母校の札幌農学校で教授に就任し、北海道庁技師も兼務した。そんな新渡戸が北海道の農業だけでなく、意外なところでは、スケートの普及にも貢献している。スケート靴を海外から持ち帰ったのが、彼なのだ。
そして、1894年。妻のメアリーとともに、貧しい子供の教育のため、授業料無料の「遠友夜学校」を設立。ボランティアに支えられながら、自らのポケットマネーも使い、同校を運営した。校名の「遠友」には「遠いアメリカの女性からの応援で学校が設立できた」という感謝の意味もあるのだという。

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