ふるさと納税ニッポン!

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佐世保に「なおって」来らした人たち

佐世保に「なおって」来らした人たち
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大都会から漁師町へ

大都会から漁師町へ

「ビストロさやま」店主・佐山和貴さん

なおって来た人

「ビストロさやま」店主・佐山和貴さん
子どもにも最適な環境で、自分も好きな料理を作ることができる。鹿町は食材も本当にすばらしいし、ここで暮らせている今、幸せだなぁと思います

なおって来た人

「ビストロさやま」店主・佐山和貴さん
子どもにも最適な環境で、自分も好きな料理を作ることができる。鹿町は食材も本当にすばらしいし、ここで暮らせている今、幸せだなぁと思います

元すし店にひょっこりできたフレンチレストラン

本土最西端に程近い、山と海に囲まれた佐世保市北部の鹿町町。漁協もある港のすぐ近くに、一見和風な構えのフレンチレストランがある。
「ビストロさやま」―― 本州最北端・青森県大間出身の佐山和貴さんが2016年にオープンさせた店だ。
実はここは元すし店。地元の人が気軽に利用していた店で、オープンして間もなくは「カツ丼はできないの?」「出前はないの?」などとよく言われていたそうだ。フランス料理になじみのないこの土地で、なぜ彼は店を始めることになったのか…。

都会の限界

高校卒業後、佐山さんはすぐ大阪に出る。料理の専門学校を出て、そのまま食の道に進んだ。有名シェフが揃う店で修行し、一流フレンチ店に勤務。鹿町出身の妻とはそこで出会い、二人の子どもにも恵まれた。
一流の店には一流が揃う。センスと腕には自信があったが、そこでの競争に疲れていた自分がいた。ふと見渡せば、そびえ立つビル群。子どものころは無邪気に魚を捕まえ、木の実を採り、草原を駆け回っていた。自分の子どもたちはそんな経験のないままに、この夜のない都会で生きていくのか…ふとそう思った。

コース料理は昼も夜も1,000円~。驚くほどリーズナブル

コース料理は昼も夜も1,000円~。驚くほどリーズナブル

野菜で作ったソースたちが彩りを添える

野菜で作ったソースたちが彩りを添える

手間をかけて作られた豚肉を煮込んだ料理。素材の味が生きている

手間をかけて作られた豚肉を煮込んだ料理。素材の味が生きている

なんとかなる

妻の母親が近所のすし店の閉店を知らせてきたのは、ちょうどそのころだった。「あそこならそのままお店ができそうだけどねぇ」というある種の含みを持った言葉を聞いた佐山さんは、なんと妻に相談する前に移住を決めたそうだ。故郷の大間にも似た鹿町の景色は、佐山さんにはなんの違和感もなかったらしい。

当初は、敷居が高いイメージがあるフレンチは敬遠されると考え、気軽な洋食スタイルでやっていこうかと考えていた。オムライスやハンバーグ…今まであまり作らなかったものにチャレンジしようと、半ば諦め、半ば新たな気持ちでこの店をスタートさせたのだ。

やはり自分のスタイルを

地元の人は思った以上に強敵だった。新しいお店がオープンしたと聞きつけた人たちは、刺身はないのか、すしはないのか、丼はできないのか、はたまたお風呂上がりにアイスはないのかとひょっこり来る。最初はできるだけ要望に応えようと苦戦した。しかし、これでは本来自分の持っている技術を発揮できない。無理に洋食を作っても、自分でも自信のある味には仕上がらない…。
そこで、鮮度のよい魚で作るパテや爽やかな味のピクルス、丁寧に時間をかけて作るスープなどを「これも食べてみて下さい」と提供し続けたのである。すると近所の主婦たちが「これおいしかね。どうやって作ると?」と興味を持ちはじめ、家で作った野菜や釣ってきた魚を持ってきてくれるようになった。そういう噂は小さな町ではすぐ広まる。車で40分以上かけて市街地まで行かないと食べれらないような、いや、市街地でも食べられないような本格フレンチの味が、じわじわと鹿町に浸透し始めたのだ。彼自身、ストレスを感じながら無理に料理を作るより、自分の提供したいものを作ろうと心に決めた。

業者も来ない場所なので、手作りしかない

佐山さんの作る料理は、ソースやスープ、ドレッシングなども全て手作り。特に前日から仕込むスープは絶品で、野菜を提供した人も驚くほどである。ここまでこだわると大変だろうと聞くと「本当はもう少し手を抜きたいんですが、食品業者さんも来てくれないような場所なので、しょうがないんですよ」と、優しい笑顔で答えてくれた。
ほんわかした関西弁と人懐っこい笑顔、素材を大事にした手の込んだ料理が、鹿町に新しい風を起こしていることは確かだ。

旬の食材を使ったデザート。この日は、皮までまるごと桃を使った桃尽くし

旬の食材を使ったデザート。この日は、皮までまるごと桃を使った桃尽くし

佐世保のあげまき貝。この日の前菜に使われた

佐世保のあげまき貝。この日の前菜に使われた

鹿町で長い間愛された食堂をやっていたスタッフの柴田さん。今はパートとしてこの店を手伝い、鹿町の人たちとの橋渡しにもなっている

鹿町で長い間愛された食堂をやっていたスタッフの柴田さん。今はパートとしてこの店を手伝い、鹿町の人たちとの橋渡しにもなっている

ビストロさやま

住所:佐世保市鹿町町下歌ヶ浦989-6

電話:0956-77-5858

営業時間:11:00~14:30(OS)
     17:30~22:00(OS21:00)

定休日:月曜(応相談)

case2

「佐世保には靴修理屋が少なかもんね」

「佐世保には靴修理屋が少なかもんね」

「佐世保には靴修理屋が少なかもんね」

一言一言考えながら話す姿勢に実直さが表れる金﨑智之さんは、地元・福岡や東京、イタリアで仕事をしてきた靴職人。福岡でメーカー勤務の傍ら、個人でオーダー靴を受注していた。

忙しくなるにつれ「独立」という智之さんの思いはふくらみ、彼の体が心配だった恵さんも賛成だった。しかし、オーダー靴も修理も福岡は激戦区…。そんなとき、智之さんの頭にふと、幼い日に聞いた祖母の言葉が浮かんだ。「佐世保には靴修理屋が少なかもんね」。

子どもの頃、佐世保に住む祖父母の家によく遊びに行っていた。改めて佐世保の街を見てみると、確かに靴修理屋が少ない。平日でも人の往来はある。「これならやれる」。そう決めてから一か月余り、福岡から通いながら今の店舗を見つけた。智之さんを信じる恵さんには、なんの不安もなかったそうだ。
開業から半年、今では毎日20人程のお客さんが来店する。一度来たお年寄りのネットワークにも助けられているそうだ。たくさんの靴型が並ぶ店内はほのぼのと温かく、この店の開業を見ることなくこの世を去った祖母の、笑顔とぬくもりに包まれている気がしてならない。

金﨑智之さん、恵さん。共に福岡県出身。平成27年に移住。

なおって来た人

セミオーダーの靴づくりも始めたいと思っています 金﨑智之さん、恵さん。共に福岡県出身。平成27年に移住。

case3

豊かな自然の中にある日々の暮らし。

豊かな自然の中にある日々の暮らし。

豊かな自然の中にある日々の暮らし。

東京で生活していた浦裕晴さんと妻の梨絵さん。当時、裕晴さんはITの仕事、梨絵さんはブランド店で販売員の仕事をしていた。そんな折、花好きが高じて佐世保の花農家として働き始めた裕晴さんの母から、一緒に花屋をやらないかと誘われた。

「東京は刺激があっていい街なんですが、子どもを産み育てることが想像できなかったんですよね。実家の山口でもなく、子育てするなら九州だって、迷いなく佐世保にやってきました」。

だが、慣れない土地での初めての子育ては心細く、方言と坂道の多さにも戸惑ったとか。今ではすっかり佐世保弁をマスターした梨絵さんだが、「はらかいた(=腹を立てる)という方言を初めて聞いたときは、ナゾでしたね」と笑う。
始めた当初は失敗の連続。「収入の大半が種代等の支払いに消えるため、家計は火の車。貯金を切り崩す日々が続きました」。

今では、東京で学んだ梨絵さんのフラワーコーディネートのセンスと、裕晴さんが作る「都会的な色合いと長持ちする花」が評判となり、ガーベラなど10種類以上の花を栽培。有機肥料を使ったオーガニックフラワーが裕晴さんの自慢だ。最後に佐世保暮らしの良さを尋ねると、「夫婦でいる時間、家族と過ごす時間が長いことが幸せです」。

夫婦で二人三脚、人に愛される花を作っています

なおって来た人

夫婦で二人三脚、人に愛される花を作っています 浦裕晴さん、佐世保出身。絵梨さん、山口県出身。唯紗ちゃん・登真くん。平成18年に移住。

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このまちが「第二の故郷に」

このまちが「第二の故郷に」

このまちが「第二の故郷に」

後藤洋志さんが初めて佐世保を訪れたのは海上自衛隊に入隊した18歳のとき。大分県別府市で育った洋志さんにとって、当時の佐世保は「商店街が元気で、若者が多く活気のある街」という印象だったそうだ。

それから7年の勤務を経て、加奈江さんと結婚。それを機に、母勤務地(定年までの主となる勤務地)を佐世保に指定した。地元を離れることに未練はなかったかと聞くと、「仕事で長く家を空けることが多いので、妻の故郷に住むのがベストだと思いました」ときっぱり。結婚後は転勤や出張が重なり、二人の息子たちとも会えない歳月が続いた。しかし現在は、離れ離れだった時間を取り戻すように、マイホームで家族水入らずの暮らしを満喫している。

とはいえ、共働きで慌ただしい毎日だと話す加奈江さん。佐世保での子育てについても聞いてみた。「保育所の待機児童もないし、夜間診療もあるので、私のように働くお母さんには、ありがたい環境だと思います」。 国護る自衛官も、休日は子煩悩なパパだ。「私たちが住んでいる地域は、行事やイベントを通して、地域全体が顔見知り。そういう人の温かさも佐世保の魅力だなと感じています。いずれは両親も呼んで、佐世保で一緒に暮らしたいですね」。

洋志さんの両親もしばらく滞在し、すっかり佐世保が気に入ってしまったとか。

週末は家族でよく市内のイベントに出かけます

なおって来た人

週末は家族でよく市内のイベントに出かけます 後藤洋志さん、大分県別府市出身。加奈江さん、佐世保市出身。楓洋(かみゆ)くん・洋楼(ひいろ)くん。平成7年に移住。

case5

展海峰の眺めが決めてだった。

展海峰の眺めが決めてだった。

展海峰の眺めが決めてだった。

移住を考えたきっかけは、東日本大震災。縁もゆかりもないが、ふと頭に浮かんだ「長崎」へ旅行ついでに訪れた。佐世保に近づいたとき、美知代さんの体調が悪かったため、郊外にさしかかったところで引き返すことに。

関東に戻り、長崎の地図を見てふと気になった。佐世保駅を見ていない。果たしてあの光景が本当の佐世保の姿だったのか…。今度は佐世保駅を見るために、再び訪れた。「意外に街」。夫婦で共通した感想だった。そして、佐世保で味わう海の幸の美味しさと価格に、自宅から2時間かけて三浦半島まで通うほど海産物好きの二人は、心を奪われた。

この地でこれからの人生を送ろう。その気持ちの背中を押したのは、展海峰から見た九十九島の眺めだった。

それからの行動は早かった。市の移住相談窓口に行き、仕事を含むさまざまなことを相談。気に入った物件も見つけた。持ち家を売却するのに2年かかったが、最終的にはそれも佐世保の不動産業者が手伝ってくれたという。
それなりの覚悟をして移ってきたが、それでも住んでみて初めて分かる苦悩がある。しかし、台所からチラリとのぞく九十九島の景色や、週末に出掛けるドライブが、二人にエネルギーを補充してくれている。
今、二人には佐世保での夢がある。二人に後悔はないようだ。

お互いに趣味のバイクやカメラを楽しんでいます

なおって来た人

お互いに趣味のバイクやカメラを楽しんでいます。 富永基裕さん、美知代さん、共に関東出身。平成26年に移住。基裕さんは共立自動車学校教官。美知代さんはSASEBOクルーズバス「海風」アテンダントもつとめる。

ふるさと納税ニッポン!は佐世保にU・J・Iターンしたい方を応援します

お問合わせ

移住サポートデスク(佐世保市役所地域政策課内)

電話:0956-25-9251(平日8時30分~17時15分)

mail:uji-turn@city.sasebo.lg.jp

首都圏での相談窓口(佐世保市東京事務所)

電話:03-5213-9060

オンラインでも発信しています

○ 佐世保移住サポート「99LIFE」

○ させぼ暮らし(空き家バンク)

○ ながさき移住ナビ(長崎県移住支援サイト)

○ 佐世保市ホームページ

この記事は、長崎県佐世保市が発行する「佐世保時間2016」より転載させていただいています。

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